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服装の悲劇に泣いたイランのなでしこ




newsweek [2011年8月 3日号掲載]

 6月3日、アンマン(ヨルダン)のスタジアム。女子サッカーのイラン代表チームの面々がピッチに姿を現した。12年のロンドン・オリンピック出場を目指して、8カ月にわたり過酷なトレーニングを積んできた。
この日のヨルダン戦は、アジア2次予選の重要な第1試合だった。

 選手たちのユニホームは、長袖シャツに長ズボン、そしてヒジャブ(頭から首を覆うスカーフ)。
イスラム教の伝統に従った保守的な服装だ。

 国歌演奏が終わると、審判が突然宣言した──イランのユニホームはFIFA(国際サッカー連盟)の規定に違反しており、出場資格がない、と。

 この瞬間、オリンピックの夢が断たれた。数人の選手は茫然とピッチに膝をつき、泣き始めた。
「愕然とした」と、キャプテンのニルーファー・アルダラン(25)は本誌に語った。
「落胆を隠そうにも隠せなかった」

 事件は大きな波紋を生んだ。
接触プレーの際に首が絞まる危険があるのでヒジャブ禁止は妥当だとFIFAは言うが、人種差別的・性差別的だとの批判が上がっている。
この措置によりイスラム教徒の女子選手全般の出場資格が奪われかねない。

 イランの女子サッカー選手は、これまでも十分過ぎるほどの障害にぶつかってきた。
この国の女性は、公の場で髪の毛と首、腕、脚を露出することが法律上許されておらず、保守派は公衆の面前で女性がスポーツをすることすら認めてこなかった。

 長年の働き掛けの結果、05年にようやく女子サッカー代表チームが結成されたが、女性スポーツ選手への逆風はやんでいない。
イランの高位の宗教指導者であるアリ・サフィ・ゴルパイエガニは昨年、スポーツで女子選手がメダルを取るのはある種の「恥」だと言っている。

 それでも、女子サッカー選手たちは努力を続けてきた。
キャプテンのアルダランは、サッカーに囲まれて育った。
父親は代表チームのゴールキーパーだった。
フットサル(室内サッカー)をプレーし始めたのは14歳のときだ。
「サッカーは私のDNAの一部。ほかのことをするなんて考えもつかない」

 豊かな才能はすぐに注目を集めた。
09年、アブダビのクラブチームから移籍の誘いを受けた。
提示された年俸は15万㌦といわれる。イランのチームより格段に高い金額だし、中東の女子選手としては破格の条件だ。

 しかし、アルダランは移籍話を断った。最大の問題は、ヒジャブだった。
アブダビのチームはヒジャブなしでプレーすることを望んだが、その要求に従えばイランの代表チームに招集されなくなる恐れがあったのだ。

 ミッドフィルダーのフェレシュテ・カリミ(22)が育った環境は、アルダランと対照的だった。
「私の一家は、スポーツより文化や芸術を好む傾向が強い」と、カリミは言う。「私だけ変わり種だった」

 10代でフットサルを始めたのをきっかけにサッカーの世界に入ったカリミは、イラン屈指のプレーヤーに成長した。
09年にパキスタンで開かれた大会では、4試合でハットトリック(1試合で3得点)を達成した。

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新し物好きのRobin Morino が、日々感じた事、健康、音楽(カンツォーネ、シャンソン、ジャズ、ボサノバ等)、映画、小説、Photo、旅行、恋愛、社会、政治経済等について徒然なるままに書き綴ります。(独断と偏見、浅学菲才によるボロはご容赦ください)
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